はじめに
「『障害者』も一人ひとりが人間だ」というテーマに対談を行う本サイトですが、諸事情によりストップしていましたが、ようやく再開にこぎつけることができました。
今回は画家である如月行さんをお迎えして、「絵を描くエネルギーとは?」をいうことを通じて「障害者も人間である」ということを深堀りしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたいします。
登場人物
如月 行(きさらぎ こう)
自閉症スペクトラム(典型的アスペルガー)/ADHD/てんかんといったさまざまなモノの当事者。6年ほど前から絵を描き始めて様々なコンクールなどで受賞している。歯の治療が大の苦手。
インタビュー
絵の受賞歴などについて
[く] こんばんは、くらげです。
[如] こんばんは、如月行(きさらぎこう)です。自閉症スペクトラム(典型的アスペルガー)/ADHD/てんかんといったさまざまなモノの当事者です。職業としては画家に入るんでしょうか…?
[く] そこは堂々と画家ですと言っていいです(笑)如月さんとはTwitterで結構前から相互フォローしていて、私が開催した「発達障害バー」というイベントに来ていただいたことがありましたね。もう5~6年前ですね。
[如] もうそんなに前になりますか。あのとき、ぜひともくらげさんとあおさんとお会いしたくて和歌山から新幹線で往復6時間かけてとんぼ返りしたんでした(笑)東京滞在は12時間という強行軍でした(笑)
[く] まさかそんな遠方から来てもらえるとは思っていませんでしたよ…。その日は帰れなくなったみんなでカラオケボックスで一晩明かしたのはよく覚えています。若かったですね、今はもうできないです(笑)今はさまざまな絵のコンクールなどで数々の受賞をしていますが、お会いした当時はもう絵を描いているんでしたっけ?
[如] はい、ちょうど絵を描き始めた頃ですね。あの頃は今のようにいろんな賞をもらえるとは全く思っていなかったです。
[く] 全部でどれくらいのコンクールで受賞しているんでしょうか?
[如] そうですね、全部で30回くらいでしょうか。
[く] 数だけですごいですね…。どのようなコンクールで入賞しているのでしょうか?
[如] SOMPOパラリンアートカップ2020(ブラインドサッカー賞・丸山桂里奈賞)、ゆめぴっく2021(準グランプリ・ROOTOTE賞)、日本製紙クレシア ボックスティッシューデザイン募集コンペ(最優秀賞)などです。
[く] パラリンピック関係や日本製紙といった有名所に関するコンテンツなどの受賞もしているんですね…。絵を描きはじめてまだそんなに時間は経ってないですよね?
[如] ちょうど6年くらいですね。
[く] その短期間で受賞するというのは結構すごいことだと思うんですが、今回の対談では如月さんの障害と絵の関係についてお話を深堀りしたいです。改めてよろしくお願いいたします。
[如] よろしくお願いいたします。
絵を描き始めたきっかけは「病気になった」から
[く] さて、如月さんの絵というかアートというのはいわゆる「障害者アート」というモノというかジャンルというか…。まとめると何といえばいいのでしょうか?
[如] 私は確かに障害者系の展示会などに出展したり受賞したりしていますけど、特に障害に関係のないコンテンストにも出展することもあるので定義としては「アール・ブリュット」とか「アウトサイダー・アート」が一番近いのではないでしょうか。
[く] 「アール・ブリュット」というのは、美術大学などで絵の教育を受けていない方が独特の技法で作ったアートでしたっけ?
[如] はい、私も専門的に絵を習ったことがないんです。むしろ絵を描くのはとても苦手に感じていて中学までは授業で描かされたくらいで、高校から数年前に絵を描き始めるまで長い間描いていなかったんです。幼いころからずっとピアノや吹奏楽をやっていましたし、今は雅楽会で龍笛を吹いています。音楽を奏でるほうが好みで芸術系だと絵を描くことが一番向いてないと思っていました。
[く] そうなんですか、意外ですね。それがどうして絵を描くようになったんでしょうか?
[如] 幼稚園~高校まではずっと人間関係で悩んでいて、中学ではいじめにあって自殺しようと思ったくらいでした。幸い仲の良い友達ができて何とか乗り越えましたが…。大学は女子大の歴史学科という非常にオタクな環境にいられて天国でしたね。大学を卒業したあとは「頑張ればコミュ障を乗りこえられる」と考えて生命保険の外交員になったんです。
[く] 発達障害、特にASDがあると外交員はすごくしんどい仕事なのではないかと…。当時はまだASDの診断をうけてはいなかったんですか?
[如] 大学時代にネットでASDのことを知って、もしかしたら自分はこれかもしれないと感じてはいましたが、当時(10年以上前)の情報ではASDってもっと重い症例ばかりが紹介されていたので「自分は違うだろう」と思っていました。スペクトラムという概念も存在しないころでしたから、自分は普通に生きているんじゃないかと…。人を相手にすることが苦手なのはわかっていたのですが、「あえて苦手なことに挑戦しよう」と生命保険の外交員に飛び込んだのですがあえなく撃沈しました。成績自体は悪くなかったんですが、毎日がとてもしんどくて、本気で死にたくなって精神科を受診したら「うつ状態」と診断されて新卒2ヶ月で退職しました。
[く] 確かに10年前はまだ「ASDなんて気のせい」とか平然と言われていましたね。
[如] 今から振り返ると本当に無茶をしていましたし、努力でどうにもならないから「障害」なんだと気づきましたね。そのあと自治体の非常勤職員として受付係を5年7か月続けましたが、体調が悪化して仕事を辞めざるを得なくなりました。そこで発達障害の診断を受けてかなり絶望していたら主治医が「あんた、何もしないと死ぬから、必死に打ち込めることを探して!」とアドバイス(?)をされたんです。最初は小説や音楽に打ち込もうとしたのですが、どうもしっくりこなくて試しに絵を描き始めてみたらアールブリュットを扱う支援者さんに「これは、売り物になる。挑戦してみるか?」と言ってもらって、それからですね。
[く] そのお医者さんも支援者さんもすごく実践的なアドバイスをする方ですね(笑)それと、初っ端から「売り物になる」と太鼓判を押すってめちゃくちゃ才能があったんだと思います。
[如] そうなんです。本当にそれがきっかけでここまで来られたんですから、感謝してもしきれません。特に特に支援者さんはアールブリュットと障害者アートについて。障害者アート界隈のあれこれ。アート業界のあれこれを教えてくれた人です。私の絵に対するポリシーの元になりました。
[く] 人生、どこでなにがトリガーになるか全くわからないので本当に予測不可能だとつくづく感じます。
[如] はい、本当にそう思いますね(笑)
どんな作品を描いているの?
[く] さて、このあたりで、一度、如月さんの作品を見せていただきたいのですが。
[如] まず、1つ目ですが「アフリカの鳥」です。

アフリカの鳥(如月行 作)
[く] まさに「アフリカ」という色使いですね…。
[如] カラフルで力強い鳥が描きたくて、アフリカンアートからインスピレーションを受けて描きました。 後ろの同心円とドットの模様が、私の絵の特徴です。次は「世界のはじまり」という作品でインカの世界創生神話を描いています。

世界のはじまり(如月行 作)
[く] 私は絵のことは全くわからないんですが、すごくエネルギーに溢れているように感じました。
[如] ありがとうございます。それはよく言われますね。あと、日本をテーマにしたものだと「ご来光」という作品もあります。

ご来光(如月行 作)
[く] もう本当にすごいですね…。よく「障害者アート」では「障害者が見たままのことを感性で描いている」と言われますが、如月さんの絵は確かに写実的ではないですけど、「そういう物が見えている」というわけではないんですよね。
[如] 「そういう世界が見えている」というのとは違いますね。ただ、見えている世界から抽出したエッセンスのようなものは入っていると思います。私がイメージしているのはオーストラリアのアボリジナルアートや、アフリカの民族衣装のような強烈なカラフルさなんです。アボリジナルアートは書き言葉を持たない代わりに、「あそこに山がある」「カンガルーはあそこにいる」というようなことを色や記号でものを伝えているんですね。現代になると感情や物語もそこに入って一つのアートとして完成しています。ですから、その影響を受けた私の絵も強いメッセージ・祈りが無意識に出ているのかもしれませんね。
[く] 言われてみると、確かに「言葉ではないメッセージ」のようなものを感じます。しかし、どうやってこういう強烈な絵を思いつくのでしょうか?
[如] うーん、頭で考えるというよりは、突然降ってきます。頭の中に絵の完成形が映し出されるんです。
[く] 私も時々「こういう物を書きたい」という強烈なイメージが浮かんですぐさま書きなぐったりするのですが、それと同じようなものですかね?
[如] それが私の場合は絵である、ということですね。
[く] でも、それだと「再現性」というか「商売」として描くには向いてないですよね…。私もそれで苦労しています(笑)
[如] そうですね、テーマを与えられたり、「こういう物を書いてほしい」と頼まれると途端描けなくなります(笑)
[く] 如月さんはクリエーターというより、完全にアーティストですよね。最近は「アール・ブリュット」はアートのジャンルとしてかなり注目を集めていますが、どこかで大々的に売るというようなことはしていないんですか?
[如] 大々的には売っていないですね。絵の売り方がわからなくて…。どうやったら売れるんでしょうかね?
[く] 売るだけなら特に免許も不要なので、コロナが落ち着いたら個展なりなんなりを開催する方法はあると思いますが…。私がエージェントになって都内で売り捌こうかしら…。たとえば、知り合いのカフェを借りて、そこに展示してもらって…ということもできると思うので、ぜひ企画させてください!(笑)
[如] ぜひよろしくお願いいたします(笑)
絵を描くエネルギーに「マイナス」が混じっててもいい
[く] さて、話を戻すと、イメージが浮かぶのとそれを書ききるというのはまた別な才能ですよね。私も毎度「こういうのを書きたい」とは思い浮かぶのですが、書ききるまでが本当にしんどいことが多いです。絵を描くのはとても時間がかかると思いますが、その「しんどさ」をどのように乗り越えているのでしょうか?
[如] 1枚を描くのはサイズによりますが、4~20時間くらいです。基本は楽しんで描いていますが、それでもやっぱり「しんどい」と思うことはあります。でも、そうですね。ある意味「復讐」のようなものもあるかもしれません。「こういうものを他の人達は描けない、子どもの頃にいじめていた奴らを見返したい」みたいなエネルギーですね(笑)
[く] すごくよくわかります。私も書き物で辛くなってくると「こういういいものを書いて評価されたら俺をいじめたアイツらとは違うんだ、障害があっても高みに行けるんだ」みたいなよくわからない怨念じみたものが自分を支えることがあります。
[如] いじめた相手を殴る代わりにそのエネルギーを全力で絵に叩きつけるんですね。それが「如月さんの絵にはエネルギーがある」と言われる所以かもしれません。あと、新聞などのインタビューを受けることも増えたんですが、そのたびに「いじめられました」と言っています(笑)
[く] よく「復讐心」とか「恨み」ってポジティブなものではなく、できれば無いほうがいいと思われがちですけど、うまく「昇華」させることができたら大きな力になりますよね。
[如] 「昇華」って、心理学的にはとても高度なものらしいので、それができているかどうかはあんまり自信がないですが…。ただ、なにかしらの影響はあると思います。もちろん、そういう負のエネルギーを直接描き込むわけではないんですよ。辛かった・悲しかったという思いを経て、そこから生まれたものを絵のメッセージとして埋め込むというか。
[く] そうですよね。いじめられたとか社会に馴染めないとか、障害がある辛さとか、仕事がなくなったらどうしようといったという不安はずっとあります。でも、それをそのまま表現するのではなくて、辛さから一歩引いて「じゃ、どうしたいのか」とか「その辛さから見えているオリジナルなものってなんだ」とかこねこね練って、そこから生まれた塊みたいなものができることがありますよね。
[如] 障害があると「マイナスな思い」はいつも湧いてきますから、そのエネルギーを上手く使うことは決して悪いことではないんですよ。でも、それだけではなくて「自分を表現したい」とか、過去の自分も今の自分もひっくるめて肯定したいとか、「私は私」という信念をもって、そういうさまざまな光も闇もまぜこぜにして表現するようにしています。絵を描き続けることは過去の「呪い」を解くことでもあるように感じます。
[く] よく「障害者が絵を描く」というと、なにかしら他の障害者とか健常者を元気づけたい、とかそういう「後付の設定」が生まれがちですけど、そうではなくて、まず第一にあるのが「自己表現」なんだと。
[如] はい、そもそも「自己表現」に障害の有無は関係なくて、私も「障害があるからこの絵を描けたんですね」と言われると「ちょっと待てよ」となります(笑)でも同時に「障害がなかったらこの絵が描けたか」というと、それは絶対に描けていないんですよ。なんでしょうね。
[く] もう、障害があることで困ること・障害がなくて困っていないことの全てをひっくるめて「自分」なんだし、「人間」なんだよ、ということでしょうかね。
[如] そうですね。「人間」なんだから、暗い部分もあればあかるい部分もあって、それをどう描いて表現するかは自由なんです。でも、最近ちょっと気になっているのは、「障害者が絵を描くことがすごいことだ」という誤解が高まっているというか…。そもそも「障害者が絵を描く」ということに特別な意味はないはずなんです。障害があってもなくても、特にコンテンストとかで競う上では単純に「絵の質」が高いか低いか、という話です。だから「障害者アート」というジャンルを意識しすぎると、なにか危ういのではないか、と感じています。
[く] もちろん、絵を描くことはどんな人でも自由なのですが、展示するなり販売するなり、となると全く別なことということですね。
[如] はい。でも、絵を描くことは純粋に楽しいことでもあるので、ハマるならぜひハマってほしいと思いますね(笑)
「自分を表現すること」をためらわない
[く] では、最後に、なにか他の障害のある方へのメッセージとかそういうものがありましたら、ぜひ一言。
[如] 障害があると「表現する場」が結構少なくなるというか、堂々と「自分」を表現することにためらいを覚えることが多いと思います。でも、自分にしっくりくる「表現方法」というのは色々あるはずで、絵でも音楽でもゲームでも文章を書くでもなんでもいいので、私みたいに迷走しながらでも「なにかにたどり着くはず」と信じていろいろと試してみるといいのではないでしょうか。
[く] 私も37歳にして人生絶賛迷走中なので、「何かにたどり着くはず」という言葉はとても染み込みました。ぜひ見習いたいと思います。では、本日はありがとうございました!
[如] ありがとうございました!
編集後記
久々の更新となったこの企画ですが、今回はいかがだったでしょうか。私は「障害者だからこの絵が描けたといわれると困ってしまう」ということがとても印象的でした。
障害があるとそのことで何かしらの意図がついてしまい、本来伝えるべきメッセージが伝わらなくなることも多々あるように思います。しかし、如月さんの絵はそのような意図を超えてストレートに突き刺さるだけのエネルギーを持っているようにも感じました。
障害があってもなくても、好きなように自己表現をしてもよい。そのことの意味をあらためて噛み締める対談でした。では、今回はこれくらいで。次回もよろしくお願いいたします。